2012年05月09日

カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第3回「コワい?中国の怪談〜明清の怪異譚〜」(Part4) #姫路

 今朝は早くから雷雨で、少し涼しくなるかと思っていたら、9時過ぎにはやみましたね。そしてどんどん蒸し暑くなっています。只今の研究室の室温28.3℃。さっきツィートしたときより下がりましたが、でも5月上旬からこの暑さは勘弁していただきたい。こういうときは、コワい話で涼しくなりましょう。といっても、今日の話はあんまりコワくないかも、ですが。

 さてカルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第3回「コワい?中国の怪談〜明清の怪異譚〜」のご紹介第4弾。前回は、幽霊がコワくない人間と、人間がコワい幽霊の純愛のお話でした。いつの世も、男はああいう儚げな女性に魅かれてしまうものですね。
 今回は、『閲微草堂筆記』から、さらに人間らしい(?)幽霊のお話を紹介しましょう。
 
 河北省のとある村でそれぞれ塾を開いていた及孺愛(きゅうじゅあい)と張文甫(ちょうぶんほ)という二人の先生、ある晩、連れ立って夜道を歩いておりました。月見をしながら歩くうち、気がつくとなにやらひっそりとした荒れ地に出てしまいました。怖くなった二人、「こういうところはいろいろ出るから、とっとと帰ろうよ」といいあっておりましたところに、向こうの方から杖をついた老人がやってきました。
 老人、二人に気がつくと丁寧にあいさつして、「世の中に幽霊などありゃしませんよ。阮瞻(げんせん)の議論はご存じでしょうな?儒者たる者、坊主連中の戯言を真に受けなさってはなりませんぞ」と言い出して、朱子学の根本について語り始めました。
 朱子学というのは、宋代の大学者である朱熹(しゅき)が打ち立てた、儒教の重要な理論であります。むろん現実重視の儒教ですから、まさに「怪力乱神を語らず」。及先生も張先生も、老人の高説をすっかり感心して拝聴し、幽霊のことなどすっかり忘れておりました。
 と、遠くの方から、鈴の音が聞こえてきます。どうやら、牛車が通りがかる様子。すると老人、「いや、わが身は久しく泉下におりまして、淋しさのあまり、ご両人に声をおかけしたのです。しかしご両人は儒者、幽霊など存在しないという議論でもしないことには、ご両人をお引止めすることかなわぬと思い、かようなお話をした次第。邪魔が入りましたゆえ、ここまでといたしましょう」というや、すぅっと消え失せてしまいました。

 …六朝志怪で登場した、「無鬼論」を主張していた阮瞻を引き合いに出しつつ、幽霊なぞいない、という議論を幽霊が主張するわけです。思いっきりな自己否定ですが、その理由が、話し相手になってほしかったからという、切実というかなんというか。しかし、前回ご紹介した「連瑣」もそうでしたが、あの世には話し相手や茶飲み友達(あの世に茶があるかどうかわかりませんが)はいないんでしょうか。幽霊どうし、仲よくしてもよさそうなものですが、どうも死後の世界ではみな孤独なようです。だから、寂しさを紛らわすために、この世に出てきて歌を歌ったり、話し相手を探したりするのでしょう。

 
posted by TMR at 12:40| Comment(0) | 行事
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