2012年04月30日

カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第3回「コワい?中国の怪談−明清の怪異譚」 #姫路

 なんだかいきなり暑くなってきまして、体が適応しきれず、夏バテならぬ春バテの様相を呈してきました。そのうち日本からは四季が消滅して、雨季と乾季だけになるんじゃないかと木が木じゃありません、いや気が気じゃありません。木が木じゃなかったらなんなのか、わがマシンにインストールされたATOKよ。そのような問いかけを為してもATOKは答えることなく、ただひたすらに誤変換をはき出し続けるのです。

 ええ、暑さに脳までやられかかっておりますが、気を取り直して、カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第3回「コワい?中国の怪談−明清の怪異譚」をお届けします。コワい話でちっとばかり涼しくなりましょう。

 前回までは、六朝から唐代の怪異譚をいくつかご紹介しました。事実の記録という立場で書かれた六朝の志怪が、唐代に入って虚構性・物語性を強めた伝奇になっていったのでした。これら志怪や伝奇は、おおむね文言、つまり文章語で書かれていました。宋代になると、語り物や演劇などの庶民文芸にこれら志怪や伝奇も取り入れられ、明代には俗語による文芸である「小説」が誕生する、というのは前回お話ししたことです。

 明代の小説と言えば、『三国志』『西遊記』『水滸伝』などのような、歴史に題材をとった長編小説が有名でしょう。また『水滸伝』の登場人物を借りて、明代の都市生活者の暮らしを活写した、いわばスピンオフ作品の『金瓶梅』や、宋代の名判官、包拯(ほうじょう)の活躍を描いた『包公案(ほうこうあん)』『龍図公案(りゅうとこうあん)』とも)など、さまざまなジャンルの長編小説が出版され、人気を博しました。
 いっぽう、かつての志怪や伝奇のスタイルに範をとった短編小説集も現れました。瞿佑(くゆう)の『剪灯新話(せんとうしんわ)』や馮夢龍(ふうぼうりゅう・ふうむりゅう)の『喩世明言(ゆせいめいげん)』『警世通言(けいせいつうげん)』『醒世恒言(せいせいこうげん)』(あわせて「三言」と呼びます)や、凌濛初(りょうもうしょ)の『拍案驚奇(はくあんきょうき)』『二刻拍案驚奇』(あわせて「二拍」と呼びます)などがあります。志怪や伝奇に範を取っただけあって、怪異譚も多く含まれています。今回は、『剪灯新話』から、かの有名な「牡丹灯記」を紹介しましょう。

 元朝の末期、舞台は浙江の明州府(今の寧波)。中国では正月十五日を「元宵節(げんしょうせつ)」と呼び、正月の締めくくりとなる祭日ですが、その正月十五日から五日間、明州府では元宵灯(ランタン)祭りを盛大に行っていたそうです。
 この明州府の南に住んでいた喬生(きょうせい)という若い男、愛妻を亡くしたばかりで意気消沈し、祭り見物にも行かず家の前でぼんやりとしておりました。夜も更けた頃、ふと見ると、年のころは十七、八の美しい娘が、牡丹灯籠をかかげた女中といっしょに、しゃなりしゃなりと前を通り過ぎていきます。喬生、その美貌にぞっこん、ふらふらと後をついて行くと、気づいた娘が振り向いて、にっこり笑いかけます。すっかり舞い上がった喬生、女二人を自宅に案内し、娘と一夜を共にしたのでした。

 娘は姓を、名を麗卿(れいけい)と名乗り、家の事情で今は寧波近くの月湖の西に、女中と二人で仮住まいしているとのこと。かくして喬生と麗卿は懇ろな仲となり、麗卿が喬生のもとに通うようになります。
 これを怪しんだのが、隣に住んでいた老翁。妻を亡くしたばかりだというのに、女が通ってくるのはいかがなものかと、ある日壁に穴を開けてのぞいてみると、びっくり仰天!喬生が睦言をささやいている相手は、化粧をした髑髏ではありませんか。老翁、これはいかんと、翌日喬生を問い詰めます。喬生が顛末を打ち明けると、老翁、月湖に行って麗卿の住居を確かめるように説得します。

 いぶかしみながらも月湖までやって来た喬生、あちこち探し回りますが、それらしき家はいっこうに見つかりません。疲れ果てて、近くの「湖心寺」という古寺に入って休むことにしました。寺の中をぶらついていると、廊下の外れに薄暗い部屋があり、そこに一つの棺桶が置いてあります。
 中国では、旅先などで客死した遺体は頑丈な棺桶に入れて、寺などに安置しておき、時期を見て故郷に運びます。この棺桶も、そういう客死した人のものか、おいたわしや、などと思いながら(?)喬生、ふと棺桶の蓋に貼ってある紙を見ますと、黒々と「もと奉化州判符氏の娘、麗卿の柩」の文字。腰も抜かさんばかりに驚いた喬生は、大慌てで逃げ帰り、隣の老翁に泣きつきます。老翁の勧めで、玄妙観の魏法師を尋ねると、魏法師は喬生の顔を見るなり幽鬼にとりつかれたと見て取り、二枚の赤い札を喬生に渡します。持って帰った二枚の札を、門と寝床に貼っておくと、はたしてその晩から、麗卿は現れなくなったのでした。

 そうして一月ほどは何事もなく過ぎたのですが、ある晩、友人宅で飲み過ぎた喬生、帰宅しようと千鳥足でふらふらと歩いて、ふと湖心寺の前を通ります。すると寺の門からくだんの女中が現れ、「お嬢様がお待ちです」と、有無を言わさず喬生を寺に引き込み、例の棺桶が安置してあった部屋まで連れて行きます。部屋で待っていたのはもちろん麗卿、喬生の無情をなじると、その手を取って棺桶に引き込んでしまいます。翌日、喬生が帰らないのを心配した老翁が、もしやと思い湖心寺を訪ねると、喬生は棺桶の中で、麗卿の遺体と折り重なるようにして死んでいました。麗卿の遺体は、まるで生きているかのごとくであったそうです。

 そのままにもしておかれないので、二人の遺体は棺桶に入れたままで埋葬したのですが、それから明州府では夜な夜な二人の幽霊が出るようになります。その姿を見た人はたちまち病気になり、下手すれば命をもなくす始末。これはかなわんと、人々は魏法師の紹介で、寧波の西にある四明山の鉄冠道人(てっかんどうじん)を訪ね、解決をお願いします。鉄冠道人は湖心寺に赴くと、神通力で喬生と麗卿の霊を捕らえ、さんざんに打ち据えて、地獄に送ったのでありました。

 …人間と幽霊の恋物語、なのですが、喬生が髑髏姿の麗卿と睦言をささやき合っている姿は、ゾッとするものがありますね。そして喬生は、麗卿の棺桶に引きずり込まれるときに、何を思っていたのでしょうか。

 この『剪灯新話』は江戸時代の日本にも伝来して、当時の文芸に大きな影響を与えます。「牡丹灯記」も、江戸時代の怪談集などに翻案して収録され、のちに三遊亭圓朝怪談「牡丹灯籠」に仕立てるなど、すっかり日本の怪談となりました。
 「牡丹灯記」では、棺桶の中の麗卿は、「生きているかのごとく」の姿となりますが、これは喬生の精気を吸って、肉体が復活したのでしょう。一方、日本の「牡丹灯籠」では、棺桶の中の女、お露は骸骨のまま、新三郎の遺体を抱きしめています。この変容について、先日わが母校である北海道大学文学部中国文化論講座の大学院生、久保田歩さんが、「骨になった符麗卿」という論考を出しました。中国文化論講座の有志で編集している雑誌『火輪』第31号(2012年3月)に掲載されていますので、ご興味のある方はご一読を。一冊500円と、大変お得になっております(宣伝)。久保田さんの論考の他にも、以下の論考や訳注が収録されています。

明・卓吾居士、望月清香訳「日本国立公文書館蔵『醋葫蘆』巻末『妙音怕婆経呪十王転相法懲録』の翻訳」
高蜚咲訳注「京劇「梅龍鎮」試訳(後)」
池田真衣「金玉奴棒打薄情郎」とその派生作品の比較−乞丐の描写を中心に」


購入お申し込み、バックナンバー紹介はこちらを御覧ください。(なお、リンク先は私の後輩であるイエレン氏のHP「野人飯店」の一コンテンツです。こちらもよろしく)

…まだカルチャー・カフェの話は続くのですよ。また来週!(えー)
posted by TMR at 10:35| Comment(0) | 講座
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