2012年06月24日

カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」(Part5) #姫路

 なんとか更新ペースを元に戻したい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。しかしまた一週間あいてしまった…
 
 さて、カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」の続きでございます。
 前回は、生きている人を追いかけて走り回る殭屍(キョンシー)のお話でした。映画「霊幻道士」に登場するキョンシーは、硬直した体でピョコンピョコンと跳ね回るだけなので、走って逃げれば追いつかれる心配はなさそうですが、こちらの殭屍から逃げるのはちょっと大変そうです。
 では、この殭屍はなぜ生きている人を走って追いかけたのか? じつは、これには深いわけが(違)次のような解釈がございます。『続子不語』巻五の「走屍(走る亡骸)」から。

 亡骸が人を追いかけて走ることができるのは、の気が合わさることによる。人が死ぬと陽の気は絶え、体は純粋な陰となる。陽気の盛んな生者がこれに触れると、陰気がたちまち開き、陽気を吸い込もうとするので、人を追いかけて走ることができるのだ。(後略)
 

 中国の伝統的宇宙観では、この世のあらゆるモノは、から成り立っています。そのバランスが調和していればいいのですが、いったん崩れると、いろいろよろしくないことが起こります。なので、陰に属する死体は、陽の気を欲して生者を追いかける、というわけです。

 ですから、あらかじめそういう知識を持っていれば、この手の殭屍に出会っても、次の話のように、慌てることはありません。『子不語』巻五から、「画工、僵屍を描く(画屍)」

 
杭州の劉以賢(りゅう いけん)、肖像画を描くのがうまかった。以賢の隣宅には、父と息子の二人家族が居候していた。その父親が亡くなったので、息子は棺を買いに出かけた。出がけに、以賢に肖像画の作成を頼みたいと、隣人に言づてした。そこで以賢、隣家に出向き、居候の住む棟に入ったが、息子はまだ帰っていない。
 以賢、遺体は階上に安置してあるのだろうと、階段を上っていった。果たして遺体が寝台に安置してあったので、以賢はその脇に座って筆を執った。

 すると、遺体が、がばっと起き上がった。以賢、これは「走屍」だと気づき、座ったままじっと息をひそめ動きを止めた。遺体も起き直ったまま動かず、ただ目を閉じたり口を開けたり、眉をつり上げ額にしわをよせるばかりである。

 ここで逃げ出せば、この遺骸は必ず追いかけてくる。ならば、やはり肖像画を描くしかない。以賢はそう思い定めると、筆を執り紙を広げて、遺骸の姿を描き写しはじめた。以賢の腕や指が動くと、遺骸の腕や指も同じように動く。以賢は階下に向け「誰かいないか!」と大声で呼んだが、答える声はない。そのうちようやく息子が帰ってきて、階上に登ってきたが、父の遺骸が起き上がっているのを見るや、驚きのあまりぶっ倒れてしまう。次に上がってきた隣人も、やはり驚いて階下に転げ落ちてしまった。

 以賢は困り果ててしまったが、やむなく恐ろしさをこらえて描き続けた。やがて、棺の担ぎ人がやってきた。以賢、はたと「走屍」が箒を怖がることを思い出し、担ぎ人に「お前たち、箒を持ってこい!」と叫んだ。担ぎ人も「走屍」がいると気づいて、急ぎ箒を持って上がり、遺骸を箒で払うと、遺骸はばったり倒れた。そこで、気絶していた息子に生姜湯を飲ませて正気に戻らせ、父の遺体を棺に収めた。


 殭屍を前にしても、慌てず騒がず、仕事もこなしてしまう、すばらしい絵師ではありませんか。
 また、殭屍が箒に弱いというのは、広く知られていたことのようで、清朝末期の絵入り新聞『点石斎画報』(てんせきさいがほう)にも、「屍居餘気」というタイトルで、次のような記事が掲載されました。
点石斎画報03(麻雀)白黒.jpg


蘇州の某が亡くなった通夜、遺族は疲れ果てて眠り込んでいた。某の友人たち、眠気覚ましに麻雀を打っていると、突然大きな声で「テンパイ!」。びっくりして部屋の中を見回すと、なんと某の亡骸が帳の外に突っ立っている。驚き慌てた友人たち、バタバタと外に逃げ出すが、中に肝の据わったのが亡骸に箒を投げつけた。すると亡骸はバッタリ倒れた。そのまま朝まで見張りして、棺に入れて安置したが、もう変わったことは起こらなかった。ある人曰く、これこそ「屍居餘気(半死人)」というものだと。


 よっぽど麻雀が好きだったんでしょうね。これぐらいなら、普通の人でも箒でなんとか倒すことができますが、前回紹介したような殭屍だと、箒などでは退治できないかもしれません。そうなると、いよいよ道士様の出番となるわけです。

 ちなみに「霊幻道士」に登場する道士は、遠隔地で亡くなった人の遺体を、故郷まで運ぶため、術をかけて動かしていました(だから顔にお札を貼っていたりするのです)。しかし映画だけの絵空事と思いめさるな、実は現実の中国でも、客死した人の遺体を故郷に運ぶ商売があったのです。それはいかなる商売か?ほんとに術をかけて運ぶのか?種明かしはまた来週!(今回は長い連載だな)
posted by TMR at 11:52| Comment(0) | 講座

2012年06月18日

カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」Part4 #姫路

 ど〜もぉ、ご無沙汰しておりました!ようやく更新しましたよ!…あ、誰もいない。
 いやどうも最近いろいろ忙しくなりまして、(以下言い訳30行削除)、つい更新をサボってしまいました。今日から心を入れ替えて、毎日更新を目指します!…目指すだけですが。

 閑話休題。すっかり間が空いて、お忘れになってしまったかもしれませんが、カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」の続きでございますよ。
 前回までは、古代中国における「殭屍(キョンシー)」について、簡単に説明しつつ、人間に悪さする「殭屍」の話など紹介いたしました。今回は、明代以降の殭屍についていろいろ紹介してまいりましょう。
 とはいえ、明代にはあまり面白い(?)「殭屍」はおりません。わずかに『西遊記』第27回で、「白骨夫人」なる殭屍が三蔵をつけねらい、孫悟空に退治されるぐらいでしょうか。明代はやはり「牡丹燈記」のような幽霊譚に人気があったようです。

 殭屍の活動が活発化するのは、清代に入ってから。『聊斎志異』などの短編小説集には、殭屍が活躍(?)する話が数多くあります。たとえば、『聊斎志異』巻一「屍変」

 山東省の蔡店(さいてん)なる村出身の某老人、今はその村から五、六里離れた陽信(ようしん)なる城市(まち)の近くで、城外から村に至る街道沿いに数軒の宿屋を営んでおります。この街道は行商人が頻繁に行き来しており、宿屋も繁盛しておりました。
 ある日、4人連れの行商人が、宿を求めてやってまいりますが、老人の宿はどこも満員。4人はほかに行くあてもなく、どこでもいいから泊めてほしいと頼み込みます。老人しばらく思案した挙句、一つだけ空き部屋があるのを思い出します。ただその空き部屋というのが、たまたまその日亡くなった、老人の息子の嫁の遺骸を安置している部屋の隣。4人はそれでもいいというので、老人はそちらに4人を案内します。霊安室をみると、棺はまだ準備できていなかったので、遺骸は紙の衾(ふすま、遺骸にかける掛布団)をかぶせられ、寝台に横たえられており、枕元には蝋燭が灯っております。

 4人は長旅で疲れていたため、寝台に横になるとすぐに高いびき。ただ一人だけ、寝付かれずにうとうとしておりました。ふと、隣の部屋から、かさかさという音が聞こえてきます。何事かしらん、と眼を開けて、隣の部屋に目をやります。すると、霊前の蝋燭がパッと輝くや、女の遺骸が衾をめくりあげ、ゆるりと起き上がるではありませんか。遺骸はそのまま立ち上がると、ゆっくりと4人のいる寝室に入ってきます。顔には血の気が全くありません。遺骸は4人の寝台に近づくと、ひとりひとり順番に、顔にフーッ、フーッと息を吹きかけます。
 いよいよ次は自分の番だと気付いた男、やれ恐ろしやと、布団を頭までひっかぶり、息を殺し耳をすませます。遺骸は男のところにやってくると、布団の上からやはり息をフーッ、フーッと吹きかけ、また霊安室に戻っていきました。

 しばらくして紙の衾のかさかさいう音が聞こえてきました。男は布団から顔をだし、そぉっと霊安室をのぞくと、遺骸は元の通り寝台に横たわっています。そこで、ほかの連中の足をそっと押したり踏んだりしてみますが、みなピクリとも動きません。すっかり恐ろしくなった男、これは逃げねばならんと、自分の服をつかんで着ようとすると、また紙の衾の音が聞こえてきました。
 男はあわてて布団にもぐりこみ、じっと息をひそめます。再び起き上がった遺骸は、男の寝台までやって来ると、またフーッ、フーッと息を吹きかけて、霊安室に戻っていきます。遺骸がまた横たわった様子なので、男はズボンだけつかんで素早く穿くと、裸足で駆け出しました。すると、なんと遺骸もたちまち起き上がり、男を追いかけはじめたのです。

 男は必死で門のかんぬきを開け、外に飛び出して駆け出します。後ろを見ると、遺骸も走って追いかけてくるではありませんか。男は大声で叫びながら街道を駆け抜けますが、なぜか誰も気づきません。宿の主人に助けを求めようかとも考えましたが、追いつかれそうになってそれもかなわず、ひたすらに陽信の城市に向けて走り続けます。

 城市の東の郊外まで来ると、寺院の山門が見えてきたので、男は山門に駆け寄り、必死に門を叩きます。寺の僧侶は音に気づきますが、その叩き方が尋常でないので、怪しんで門を開けようとしません。そうこうするうち、遺骸は男にもうすぐ手を触れようというところまで迫ってきました。慌てた男、周囲を見回すと、山門のわきにある周囲四、五尺ほどの白楊の樹が目に入ったので、すぐさまその陰に隠れ、樹の幹を盾にしました。

 遺骸が右に回れば男は左に逃れ、遺骸が左に回れば自分は右に逃げる。遺骸は怒り狂ったように、激しく男を追いかけまわしますが、どうしても捕まえられません。そうしてぐるぐる逃げ回っているうち、男はすっかり疲労困憊、息が切れて倒れそうになります。すると、遺骸がいきなり動きを止めました。男はこれ幸いと、幹によりかかると、遺骸は突如両腕を伸ばしてきて、反対側にいる男に掴みかかります。男がびっくりして倒れると、遺骸は男を捕まえそこねて幹を抱える形になり、そのまま硬直してしまいました。

 さて山門の中では、僧侶がずっと聞き耳を立てて、外の様子をうかがっておりました。すさまじい争いの音や叫び声がした後、音がしなくなったので、門を開けて外を見ると、白楊の樹の根元に男が倒れております。一見すると死んでいるようでしたが、まだ心臓がかすかに動いていたので、急いで寺に運び込み、懸命に手当てすると、夜明けごろに男はようやく息を吹き返しました。

 僧侶は男から事の次第を聞き出し、白楊の樹を見に行くと、はたして女の遺骸が、しっかりと幹を抱いて硬直しております。慌てた僧侶は村長に報告し、村長は自ら見聞に訪れます。部下に命じて遺骸を幹から降ろそうとしますが、指ががっちりと幹に食い込み、簡単には外せません。数人がかりでなんとか指をはずして遺骸をおろし、宿屋の某老人に使いをやって知らせます。老人の所では、遺骸が客を殺したというので、大騒ぎになっておりました。知らせを聞いた老人、大急ぎで寺にやって来ると、遺骸を引き取って戻ります。

 さて一件落着かと思ったところ、蘇生した男が泣きながら村長に訴えました。「わたくしたち、4人連れで出発いたしましたのに、いまやわたくしただ一人となってしまいました。このような事、どうしたら故郷の者たちに信じてもらえましょうか?」そこで村長は事件の顛末をしたためた書類を男に与え、贈り物をして男を帰してやったのでした。

 …唐代の殭屍は、まだ男の情愛(スケベ心ともいう)に訴えるところがあったのですが、この話の殭屍は、人を憑り殺すことだけが目的のようであります。じつは、まだ棺に入れられていない遺骸の近くに、生きている人を寝かせてしまったことが、そもそも問題だったんですが。
 なぜ問題だったのかは、また来週!(毎日じゃないんですか)
posted by TMR at 14:16| Comment(0) | 講座