さて、カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」の続きでございます。
前回は、生きている人を追いかけて走り回る殭屍(キョンシー)のお話でした。映画「霊幻道士」に登場するキョンシーは、硬直した体でピョコンピョコンと跳ね回るだけなので、走って逃げれば追いつかれる心配はなさそうですが、こちらの殭屍から逃げるのはちょっと大変そうです。
では、この殭屍はなぜ生きている人を走って追いかけたのか? じつは、これには深いわけが(違)次のような解釈がございます。『続子不語』巻五の「走屍(走る亡骸)」から。
亡骸が人を追いかけて走ることができるのは、陰と陽の気が合わさることによる。人が死ぬと陽の気は絶え、体は純粋な陰となる。陽気の盛んな生者がこれに触れると、陰気がたちまち開き、陽気を吸い込もうとするので、人を追いかけて走ることができるのだ。(後略)
中国の伝統的宇宙観では、この世のあらゆるモノは、陰と陽から成り立っています。そのバランスが調和していればいいのですが、いったん崩れると、いろいろよろしくないことが起こります。なので、陰に属する死体は、陽の気を欲して生者を追いかける、というわけです。
ですから、あらかじめそういう知識を持っていれば、この手の殭屍に出会っても、次の話のように、慌てることはありません。『子不語』巻五から、「画工、僵屍を描く(画屍)」。
杭州の劉以賢(りゅう いけん)、肖像画を描くのがうまかった。以賢の隣宅には、父と息子の二人家族が居候していた。その父親が亡くなったので、息子は棺を買いに出かけた。出がけに、以賢に肖像画の作成を頼みたいと、隣人に言づてした。そこで以賢、隣家に出向き、居候の住む棟に入ったが、息子はまだ帰っていない。
以賢、遺体は階上に安置してあるのだろうと、階段を上っていった。果たして遺体が寝台に安置してあったので、以賢はその脇に座って筆を執った。
すると、遺体が、がばっと起き上がった。以賢、これは「走屍」だと気づき、座ったままじっと息をひそめ動きを止めた。遺体も起き直ったまま動かず、ただ目を閉じたり口を開けたり、眉をつり上げ額にしわをよせるばかりである。
ここで逃げ出せば、この遺骸は必ず追いかけてくる。ならば、やはり肖像画を描くしかない。以賢はそう思い定めると、筆を執り紙を広げて、遺骸の姿を描き写しはじめた。以賢の腕や指が動くと、遺骸の腕や指も同じように動く。以賢は階下に向け「誰かいないか!」と大声で呼んだが、答える声はない。そのうちようやく息子が帰ってきて、階上に登ってきたが、父の遺骸が起き上がっているのを見るや、驚きのあまりぶっ倒れてしまう。次に上がってきた隣人も、やはり驚いて階下に転げ落ちてしまった。
以賢は困り果ててしまったが、やむなく恐ろしさをこらえて描き続けた。やがて、棺の担ぎ人がやってきた。以賢、はたと「走屍」が箒を怖がることを思い出し、担ぎ人に「お前たち、箒を持ってこい!」と叫んだ。担ぎ人も「走屍」がいると気づいて、急ぎ箒を持って上がり、遺骸を箒で払うと、遺骸はばったり倒れた。そこで、気絶していた息子に生姜湯を飲ませて正気に戻らせ、父の遺体を棺に収めた。
殭屍を前にしても、慌てず騒がず、仕事もこなしてしまう、すばらしい絵師ではありませんか。
また、殭屍が箒に弱いというのは、広く知られていたことのようで、清朝末期の絵入り新聞『点石斎画報』(てんせきさいがほう)にも、「屍居餘気」というタイトルで、次のような記事が掲載されました。
蘇州の某が亡くなった通夜、遺族は疲れ果てて眠り込んでいた。某の友人たち、眠気覚ましに麻雀を打っていると、突然大きな声で「テンパイ!」。びっくりして部屋の中を見回すと、なんと某の亡骸が帳の外に突っ立っている。驚き慌てた友人たち、バタバタと外に逃げ出すが、中に肝の据わったのが亡骸に箒を投げつけた。すると亡骸はバッタリ倒れた。そのまま朝まで見張りして、棺に入れて安置したが、もう変わったことは起こらなかった。ある人曰く、これこそ「屍居餘気(半死人)」というものだと。
よっぽど麻雀が好きだったんでしょうね。これぐらいなら、普通の人でも箒でなんとか倒すことができますが、前回紹介したような殭屍だと、箒などでは退治できないかもしれません。そうなると、いよいよ道士様の出番となるわけです。
ちなみに「霊幻道士」に登場する道士は、遠隔地で亡くなった人の遺体を、故郷まで運ぶため、術をかけて動かしていました(だから顔にお札を貼っていたりするのです)。しかし映画だけの絵空事と思いめさるな、実は現実の中国でも、客死した人の遺体を故郷に運ぶ商売があったのです。それはいかなる商売か?ほんとに術をかけて運ぶのか?種明かしはまた来週!(今回は長い連載だな)