日曜日の二胡発表会は、おかげさまでつつがなく終了しました。「空山鳥語」独奏は、まぁ練習通りというか、練習以上のことはできないというか、ともかくなんとか弾きとおしました。師匠いわく「後半はよかったが、前半は残念だった」ということで、前半のお言葉のみ心にとめておきたいと思います。しかし、(演奏レベルはともかく)劉天華の曲にチャレンジしたのがよかった(?)ようで、終了後の打ち上げでは、ほかの発表者の方々から、「来年も劉天華の曲に挑戦するんでしょう」と、えらくプレッシャーをかけられました。そういうわけで、来年は欠席の方向で(ぉぃ)。
さて、もう遠い過去の話になってしまったような気もしますが、カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」の、続編でございますよ。
前回は、中国版ゾンビ、「キョンシー」について、簡単に紹介しました。今回は、古典に登場する「キョンシー」(といっていいかどうか)を、いくつかご紹介しましょう。まずは、宋末の周密(しゅうみつ)が著した雑記『斉東野語(せいとうやご)』から、「宜興梅塚(ぎこうのうめづか)」でございます。
わたし(周密)の親戚で、宜興県を治めていた趙という者がいた。県の役所の前に、美しい紅梅が一本生えており、春になると、半畝(ムー、一畝は約666平方メートル)ほども広がった枝に、美しい花を満開に咲かせるのだった。趙は花の季節になると、客人たちをその梅の樹の下でもてなした。
ある日のこと。宴会も果てた夕方、月明かりの下、一人で花の下を歩いていると、赤い着物の楚々とした娘が、すっと前を通り過ぎた。おやっと思い、後をつけてみたが、数十歩も歩くと、すぅっと姿を消した。
それから彼はなにか呆けたようになってしまった。まるで娘が目の前にいるかのように、歌を歌ったりしゃべったり、そうかと思うと一日中座り込んで動かなかったりという状態で、家族は心を痛めていた。
それでもたまに正気に戻ることもあった。ある老兵士、心当たりがあり、正気に戻った趙に打ち明けた。
「以前ここで知県をしていた某には美人の娘がいたのですが、若くして亡くなってしまいました。知県の家ははるか遠くの湖南なので、やむなくこの地に埋葬し、あの紅梅を植えて目印にしたのです。先日の夜に会われたのは、この娘ではございませんか?」
そこで、趙は梅の樹の下を掘らせてみた。すると、樹の真下に、根っこに絡みつかれた棺が見つかった。棺材はわずかに傷んでいるだけで、蛇や鼠が出入りするような、銭ほどの大きさの穴が開いている。棺を開けてみると、かの娘の屍体が出てきたが、その顔は玉のごとくつやつやとしており、衣服や装飾品も全く傷んでいない。まさに国色である。趙はこれを見ると、すっかり魂を奪われてしまい、周りが止めるのも聞かず、屍体をかついで奥の部屋に運び込んだ。
布団に寝かせると、四肢も柔らかく、ふつうの「僵屍」とは全然違う。そこで趙は、毎晩彼女と寝床を共にするようになった。そのうち体が弱ってきて、痩せさらばえて仕事にも差し支えるようになった。家人は隙を見て壁に穴を開け、死体を取り出して燃やしてしまったが、趙は病気になり死んでしまった。
以前ご紹介した「牡丹燈記」や「連瑣」のように、若くして亡くなった女性の霊が、生きている男性と恋仲になる話は多いのですが、この「宜興梅塚」は、女性の霊(と思しきもの)は最初にちらっと現れるだけで、あとは掘り出された屍体と男の恋愛(?)です。もっとも、この話は趙さんの行動を第三者的な視点から描いているので、趙さん自身には、娘の霊がずっと見えていたのかもしれませんが。
そして死者と生者が交わると、生者のエネルギーが死者に奪われていき、場合によっては死に至ることもあるのです。これは、死者の持つ「陰」の気が、生者の持つ「陽」の気を引きつけることによるそうで、「連瑣」では死者である連瑣もそのことをわかっており、生者である楊于畏を傷つけないため、同衾を拒んだのですね。いっぽう、「牡丹燈記」の符麗卿や、今回の「宜興梅塚」の娘などは、積極的に男に近づき、「陽」の気を吸い取ろうとするのです。
まぁ積極的にといっても、彼女たちの肉体(屍体)はもちろん動きませんので、霊魂で姿を見せることで、男たちを引き寄せます。ところが清代になると、屍体そのものが積極的に(?)動いて生者を追いかけるようになるのです。このお話については、また次回の講釈で。今度はいつ更新かな…