2012年05月23日

カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」(Part3) #姫路

 えぇと、またも更新が滞ってしまいました。全国2900万の当ブログ読者の皆様(減ってるよ)、その後いかがお過ごしでしょうか。

 日曜日の二胡発表会は、おかげさまでつつがなく終了しました。「空山鳥語」独奏は、まぁ練習通りというか、練習以上のことはできないというか、ともかくなんとか弾きとおしました。師匠いわく「後半はよかったが、前半は残念だった」ということで、前半のお言葉のみ心にとめておきたいと思います。しかし、(演奏レベルはともかく)劉天華の曲にチャレンジしたのがよかった(?)ようで、終了後の打ち上げでは、ほかの発表者の方々から、「来年も劉天華の曲に挑戦するんでしょう」と、えらくプレッシャーをかけられました。そういうわけで、来年は欠席の方向で(ぉぃ)

 さて、もう遠い過去の話になってしまったような気もしますが、カルチャーカフェ・獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第4回「キョンシーは実在するか?〜中国の死体搬送術〜」の、続編でございますよ。

 前回は、中国版ゾンビ、「キョンシー」について、簡単に紹介しました。今回は、古典に登場する「キョンシー」(といっていいかどうか)を、いくつかご紹介しましょう。まずは、宋末の周密(しゅうみつ)が著した雑記『斉東野語(せいとうやご)』から、「宜興梅塚(ぎこうのうめづか)」でございます。

 わたし(周密)の親戚で、宜興県を治めていたという者がいた。県の役所の前に、美しい紅梅が一本生えており、春になると、半畝(ムー、一畝は約666平方メートル)ほども広がった枝に、美しい花を満開に咲かせるのだった。趙は花の季節になると、客人たちをその梅の樹の下でもてなした。
 ある日のこと。宴会も果てた夕方、月明かりの下、一人で花の下を歩いていると、赤い着物の楚々とした娘が、すっと前を通り過ぎた。おやっと思い、後をつけてみたが、数十歩も歩くと、すぅっと姿を消した。
 それから彼はなにか呆けたようになってしまった。まるで娘が目の前にいるかのように、歌を歌ったりしゃべったり、そうかと思うと一日中座り込んで動かなかったりという状態で、家族は心を痛めていた。
 それでもたまに正気に戻ることもあった。ある老兵士、心当たりがあり、正気に戻った趙に打ち明けた。
「以前ここで知県をしていた某には美人の娘がいたのですが、若くして亡くなってしまいました。知県の家ははるか遠くの湖南なので、やむなくこの地に埋葬し、あの紅梅を植えて目印にしたのです。先日の夜に会われたのは、この娘ではございませんか?」
 そこで、趙は梅の樹の下を掘らせてみた。すると、樹の真下に、根っこに絡みつかれた棺が見つかった。棺材はわずかに傷んでいるだけで、蛇や鼠が出入りするような、銭ほどの大きさの穴が開いている。棺を開けてみると、かの娘の屍体が出てきたが、その顔は玉のごとくつやつやとしており、衣服や装飾品も全く傷んでいない。まさに国色である。趙はこれを見ると、すっかり魂を奪われてしまい、周りが止めるのも聞かず、屍体をかついで奥の部屋に運び込んだ。
 布団に寝かせると、四肢も柔らかく、ふつうの「僵屍」とは全然違う。そこで趙は、毎晩彼女と寝床を共にするようになった。そのうち体が弱ってきて、痩せさらばえて仕事にも差し支えるようになった。家人は隙を見て壁に穴を開け、死体を取り出して燃やしてしまったが、趙は病気になり死んでしまった。


 以前ご紹介した「牡丹燈記」「連瑣」のように、若くして亡くなった女性の霊が、生きている男性と恋仲になる話は多いのですが、この「宜興梅塚」は、女性の霊(と思しきもの)は最初にちらっと現れるだけで、あとは掘り出された屍体と男の恋愛(?)です。もっとも、この話は趙さんの行動を第三者的な視点から描いているので、趙さん自身には、娘の霊がずっと見えていたのかもしれませんが。
 そして死者と生者が交わると、生者のエネルギーが死者に奪われていき、場合によっては死に至ることもあるのです。これは、死者の持つ「陰」の気が、生者の持つ「陽」の気を引きつけることによるそうで、「連瑣」では死者である連瑣もそのことをわかっており、生者である楊于畏を傷つけないため、同衾を拒んだのですね。いっぽう、「牡丹燈記」の符麗卿や、今回の「宜興梅塚」の娘などは、積極的に男に近づき、「陽」の気を吸い取ろうとするのです。

 まぁ積極的にといっても、彼女たちの肉体(屍体)はもちろん動きませんので、霊魂で姿を見せることで、男たちを引き寄せます。ところが清代になると、屍体そのものが積極的に(?)動いて生者を追いかけるようになるのです。このお話については、また次回の講釈で。今度はいつ更新かな…
posted by TMR at 09:53| Comment(0) | 講座

2012年05月19日

明日は二胡発表会(汗)

 ご無沙汰しております。今週はいろいろばたばたしてまして、またも更新が滞ってしまいました。全国3000万の当ブログ読者の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、タイトルの通り、明日はいよいよ私が通っている二胡教室発表会でございます。独奏曲1曲+合奏曲6曲をやるので、てんわわんやでございます。まぁ合奏曲はいざとなったら他の人にまかせて(えっ)、失敗しても他の人のせいにして(えぇっ)、知らん顔して弾いてる振りをすればいいのですが(おぃ)、独奏曲はそういうわけにもいきません。前にも紹介した、「空山鳥語」という曲を演奏するのですが、ほんと、この腕前で、なんでこんな難しい曲を選んでしまったのか謎です。

 こちらは以前紹介したのとは別の演奏。楊琴の伴奏あり、曲もアレンジが加えられています。

 で、今日もさっきまでギーコギーコと鋸、いや二胡を練習してました。ここ数日は、録音しながら練習していたのですが、この利点は、自分が弾いているときにはわからないミスが、聞き直すとよくわかるということ。音程のズレから音飛びから、テンポのずれや間合いの取り方、強弱の付け方まで、しっかりと確認できます。まぁミスが多すぎて、聞きながら果てしなく落ち込んで立ち直れなくなると言う、副作用も持ち合わせていますが。とにかく、おかげで今まで気づかなかったミスを修正することはできました(本番でちゃんとできるかどうかは別)。あと、気づいても技術的に修正できない問題点はスルーの方向で。

 じゃ、明日配る耳栓を100セットほど買いに行ってきます。またねー(ぇ)。
タグ:二胡
posted by TMR at 15:25| Comment(0) | 日々想

2012年05月14日

二胡発表会リハーサル&和風ラーメンの謎!

 えぇ、タイトルがえらくとっちらかってますが、まぁお気になさらずに。最後まで読むと、タイトルの意味がよくわかります。たぶん。

 いよいよ来週日曜日は二胡教室の発表会でして、今日はそのリハーサルに、夙川公民館に行ってきました。
 まぁ、普段はレッスンに行って師匠と一対一で弾くだけで、あとは一人でひたすら練習するだけなので、人に聞かせる機会は(自宅で相方に強制的に聞かせることを除けば)ほとんどないのです。ですから、いざ舞台に上がって人前で弾くとなれば、心拍数は倍加し、手は震え脚は踊り、早い話がなんかもうむちゃくちゃでござりまする。独奏曲は、最初こそ(主観的には)なんとか音程も大きく狂わずに弾けたのですが、途中で二胡のポジションが気にかかり始めるとと、とたんに手元が狂って音が飛び、なんとか復帰したもののペースはむやみに上がって指が追い付かず、最終的には持ち時間(5分)を大幅に残して終わってしまいました。こういうのは「場馴れ」するしかないので、どうしようもないんですが。

 …大学講師になりたてのころ、教壇に立つと緊張で早口になり字は乱れ、1コマ(90分)のつもりで用意した授業内容を1時間で終わってしまい呆然としたことが、懐かしく思い出されたり。今じゃ1コマのネタを何週間も引っ張って、学生諸君を呆然とさせているんですが。

 ともかく赤くなったり青くなったりしながらリハーサルを終え、明日から授業なので姫路前泊ということで、夕方に姫路に到着し、晩御飯を食べに出たのです。プリエ姫路のジュンク堂書店をちょっとさまよってから、そういえばプリエに「ばりですかばり馬」なるラーメン屋が入ったのを思い出し、行ってみました。

 とんこつで細麺なので、博多系なんでしょうか。今日は基本メニューの「ばり馬」を頼みまして、おいしかったです(スープを飲むとカロリーオーバーしそうなんで、泣く泣く残しましたが)。で、ラーメンが来るのを待つ間、つらつらとメニューを眺めていると、「和風中華そば」というのがありまして。

 ふだんだったら「和風で中華とはこれいかに?」とか突っ込みつつ通り過ぎるところですが、実は来る水曜日(16日)に、イオンタウン姫路で行う「イオンタウン講座」で、「うどんは中華でラーメンは和食?」と題しまして、一席ご機嫌をうかがう予定なのです。で、「ラーメンは和食」と主張したい立場としては、「和風ラーメン」の存在は非常に困るわけでして、今頃その存在を意識したというのもどうかと思いつつ、和風ラーメンとはなんぞや?という疑問について回答を得るべく、「和風ラーメン」でググってみました(安易だね)。

 で、まだ調査の途中ですが、「和風ラーメン」を名乗るラーメン(「らーめん」とひらがな表記にする場合多し)は、鶏ガラや豚骨に加えて、鰹節・煮干し・昆布など、和風の素材を使ってスープを作るようですね。これはまぁ想定内なんですが、では「和風」でないラーメンとは何ぞや? 

 先ほどあげた「ばり馬」の「和風中華そば」というネーミングが見事に語っているのですが、つまり「和風」でないラーメンは「中華」ということでしょう。ところが、日本の「ラーメン」「中華そば」は、中国にはなかったりします。中国に留学中、なつかしくなる日本料理のトップ2は、ラーメンカレーライスでしたから。最近は、「日式拉麺」という名で、日本式のラーメンの店が中国にも進出してますが、つまり日本のラーメンは、日本料理であって、中国の料理ではないのです。

 詳しい話は、水曜日にイオンタウン講座でいたしますので、ご興味のある方は、どうぞご参加ください(えー)。そのうちこのブログにもアップするかもしれません。
 …ちなみにこのネタは、大学での授業で使ったものをアレンジしているのですが、ほかの先生方が「文学とは〜」とか「日本の経済は〜」とかお話しているなかで、「うどんは中華である」とか主張しているのはどうか、と思わないでもない今日この頃です。

 そういうわけで、二胡和風ラーメンだというお話でした(あぁもうわかんない)
posted by TMR at 00:06| Comment(0) | 日々想