2012年04月17日

カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第2回(Part2) #姫路

 春らしい陽気ですね。
 先週末の荒天にもかかわらず、大学の桜は今日も咲き誇っていました。絶好の花見日和ですね。これで酒があれば
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 さて、お待ちかね(誰が?)カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第2回「怪異と現実のはざま〜記録から創作へ〜」の続きですよ。

 漢代は儒教が政治理念となり、合理的・現実的な思考が重んぜられます。そのため、「怪力乱神」を語ることも避けられるようになります。ただし、「語らない」からといって、「信じない」わけではありません。孔子だって、「麒麟」という伝説の瑞獣が捕えられたと聞いて、(麒麟の存在を否定せず)「ああ、わが道はおしまいだ!」と嘆いています。ですから、当時の合理的・現実的な思考と、現代のそれとは必ずしも一致しないのです。

 後漢の末期になると、政治の腐敗と社会の混乱は頂点を極めます。有名な「三国志」の時代です。そして後漢滅亡後、中国を再統一した晋も崩壊し、また北方では遊牧民族が国家を建て、江南の王朝と対立します。南北朝時代とも六朝時代ともいわれますが、分裂と混乱の時代が、6世紀末の隋による再統一まで続くのです。
 このような中で、それまでの価値観は崩れ、多様化していきます。儒教も孔子の神格化や協議の神秘化が進み、また道教仏教などが流行するようになります。そのようななかで、「怪力乱神」を語ることもタブーではなくなり、さまざまな怪異譚が語られ記録されるようになりました。これを「志怪」と呼びます。ただし、この時代の怪異譚は、あくまでも「事実」として記録されます。

 では、どのような怪異譚が「事実」として記録されたのでしょうか?
 たとえば、晋の人、張華の『博物志』には、このような話が載っています。

燕の太子の丹は人質として秦にいた。秦王は丹に無礼な態度で接したため、丹はこれを苦にして帰国を願い出た。王は聞き入れず、「カラスの頭が白くなり、馬に角が生えたら、そのときは帰らせよう」と、でたらめをいった。
丹が天を仰いでため息をつくと、たちまちカラスの頭が白くなった。うつむいて吐息をもらすと、馬に角が生えた。秦王はしかたなく丹を帰国させた。


 燕は戦国時代の北方にあった国、秦は西方にあった国で、勢力を拡大して他の国々を滅ぼし、のちに中国を統一します。燕は国力に勝る秦と誼を結ぶため、太子の丹を人質にとして秦に滞在させたことは、史実として記録があります。でもカラスの頭が白くなったりするのは、ちょっと現実的ではないのですが、このような怪異譚がこの当時は語られていたのですね。

 ほかにもいろいろ不思議な話がありますが、それはまた次回ということで。


posted by TMR at 00:05| Comment(0) | 講座