2012年04月03日

カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第1回(Part3)

…誰もいない…

 では(気を取り直して)、前回の問題の答え!

 十個の太陽のうち、一個が昇る→答えは九個!八個!

 計算ができないわけじゃないですよ。証拠もございます。

馬王堆帛画.jpg
 こちらは、湖南省長沙で発掘された、「馬王堆(まおうたい)」とよばれる漢代の墓から発掘されたものの一つ、T字型の彩色の帛(薄絹)です。棺に掛けられていたそうで、埋葬された人物が向かう死後の世界、および天と地の両界を描いたものと考えられています。
 →その上部には、右側に太陽、左側に月が描かれています。馬王堆帛画(部分).jpg
(太陽の中にカラス、月の中にヒキガエルが描かれていることにも注目!)
 太陽の下にあるのが扶桑の木。枝の間に、休息中の太陽が見え隠れしています。
 その数を数えてみると……どうみても八個しかありません。残り一個はどこへ逃げた?

 どうやら、古代の人々は、太陽が昇って西に沈むと、地の下を通って東に戻り、扶桑の木のあたりで地表に戻る、と考えていたようです。それなら、つじつまが合いますね。
…ん?しかし、一個が空にあり、一個が地の下にあるなら、空にある一個が西に沈んだときに、東から次の一個が昇らないとどこかでつかえてしまう、ということは、日の出と日の入りが同時になって、夜が来なくなるのでは…?
まぁ、あまり深く考えないようにしましょう。

 さて、すでに書いたとおり、これらの神話・伝説は、春秋戦国時代に入ると、諸子百家によって変形・分解され、体系を失います。しかし当時の資料からも、ナマの神話に近い形のものは、やはり断片ではありますが、探し出すことができます。
 その一つが、です。
 屈原は楚の国(今の湖北省・湖南省のあたり)の政治家でしたが、讒言を受けて政界を追われ、失意のまま河に身を投げてしまいました。彼が生前、楚の先王の廟にあった森羅万象の絵を見て詠ったと言われるのが、「天問」です。その内容は、神話や伝説のさまざまなエピソードに対する疑問を連ねたものであり、逆に当時の神話や伝説の内容を知ることができるのです。
 たとえば冒頭の数段は、以下の通りです。

 「さても太古の初めのことは
  誰が世々に言い伝えたか
  天地のまだ分かれぬときを
  どうして考えることができたのか

  昼夜も分かれず小暗い時
  誰がこれを見極めたのか
  ただ気が満ちてもやもやとしている時
  どうしてその形を見分けることができたのか

  (略)

  鯪魚(りょうぎょ)はどこにおり
  鬿堆(きたい)はどこにいる
  羿はどこで日を射たのか
  鴉はどこに羽根を落としたか」


 こういう形で、ひたすらに神話伝説への疑問を連ねていきます。たしかに、「宇宙の始まりは、鶏の卵のように混沌としていて、形も音もなく、真っ暗だった」というのを、誰が見たのか?不思議ですね。
 また、神や怪物の名前がたくさん出てくるのも印象的です。上の引用でも、「鯪魚」とか「鬿堆」とか、怪しげなモノが登場してます。
 こいつらはいったいいかなる怪物なのか、それは次回のお楽しみ!
posted by TMR at 22:07| Comment(0) | 講座