2012年04月25日

好久不見!

 えー、ちょっと油断して更新をサボってしまいました。いきなり暑くなってバテてしまったかもしれません。ツィッターはちょこちょこつぶやいてましたが、やはりブログは「えいやっ」と気合いを入れないと、いけませんね。

 というわけで今日もまだ気合い充填率がちと足らないので、写真でごまかしたり。
姫路駅前.jpg

姫路駅の新幹線ホームから、姫路城方面を撮ってみました。以前の駅ビルはすっかり取り壊されています。大手前通りの奥に見えるのが、姫路城…ですが、今は大改修の真っ最中とて、すっかり囲われてしまっています。

 では後日また改めて。
posted by TMR at 22:53| Comment(0) | 日々想

2012年04月20日

カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第2回(Part4) #姫路

 「三寒四温」と申しますが、これは本来は冬に起こる寒暖の周期的変化だそうです。しかしこのところの寒暖の差は、まさに「三寒四温」、いや「二寒一温」とか「一寒二温」とでもいうべき不安定さですね。こうコロコロと天気が変わると、体調を崩して、風邪を引く人も増えそうです。あ、私は馬○なので大丈夫です。

 さて、カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第2回「怪異と現実のはざま〜記録から創作へ〜」の続きでございます。
 唐代には、全国から才能ある人材を集めるため、科挙という試験制度が実施されていました。この科挙の受験生たちは、合格後少しでもよい役職に就くため、争って有力者や試験官に自作の詩文を贈り、自分の才能を売り込みました。これを「行巻」といいますが、これが東大の文学の発展に寄与したことは前回申しました。そして、自作を印象づけるため、詩文の他に物語的な文章をつけることが流行りました。これは「伝奇」と呼ばれるようになり、のちの小説の原型の一つとなります。

 「伝奇」は六朝の「志怪」の流れを受け継ぐものですが、「志怪」があくまで「怪異の記録」というスタンスで書かれるのに対し、「伝奇」も表面的には同じスタンスをとりつつも、より虚構性、物語性を強めています。これは「行巻」の風習の中で、自分の才能を売り込むために、「おもしろさ」を意識した結果なのでしょう。

 では、どのような作品がつくられたのでしょうか。
 初期のものとはしては、王度(おうたく)の「古鏡記」、作者不明の「補江総白猿伝(ほこうそうはくえんでん)」、張鷟(ちょうさく)の「遊仙窟」などがあります。
 「古鏡記」は、作者の家にあった古い鏡がさまざまな怪異をなす話。
 「補江総白猿伝」はこんな話です。六朝の梁の時代、南方征伐軍の一指揮官だった欧陽紇(おうようこつ)、かの地で何者かに妻をさらわれます。数ヶ月の探索の末、ようやく妻のとらわれている岩窟を見つけ、妻をさらった白猿神を退治しますが、妻はすでに身ごもっており、月満ちて生まれた子供はかの白猿そっくりの容貌でした。これは、欧陽紇の息子で、唐初の著名な学者・書家である欧陽詢(おうようじゅん)の顔が猿に似ていたため、彼を中傷するために書かれたといわれています。
 「遊仙窟」は、主人公の張鷟が出張先で山に遊んでいると、とある洞窟を見つけ、その中で二人の仙女と酒席を共にして詩文を贈りあい、一夜の歓をつくす、という話です。遣唐使が日本に持ち帰り、その美麗な文体や表現は、日本の文学に大きな影響を与えました。

 唐代中期になると、「伝奇」作品の数も増え、ジャンルも多岐にわたるようになります。また内容的にも、怪異譚の要素が少なくなっていきます。
 たとえば、恋愛物語なら沈既済(しんきせい)の「任氏伝(じんしでん)」、白行簡(はくこうかん)の「李娃伝(りあでん)」、元稹(げんじん)の「鶯鶯伝(おうおうでん)」など。「任氏伝」は狐が化けた任氏という女性と、主人公との悲恋の物語ですが、「李娃伝」や「鶯鶯伝」はいずれも普通の男女の恋愛物語です。
 仙術に題材を取ったものなら、鄭還古(ていかんこ)の「杜子春伝」など。これは芥川龍之介が改作した「杜子春」でご存じの方も多いでしょう。話の展開や、結末はずいぶん違えてありますが。
 夢物語では沈既済の「枕中記」など。不遇をかこつ若者が、道士の枕を借りて一眠りするうち、栄枯盛衰の一生涯を夢に見て、目覚めてみればキビの飯が炊きあがるほどの時間しか過ぎていなかった、という話。「邯鄲(かんたん)の夢」のもととなった話です。
 武侠の話なら、裴鉶(はいけい)の「崑崙奴(こんろんど)」、袁郊(えんこう)の「紅綫(こうせん)」など。どちらも超人的な能力を持つ人物が、主人公の危機を救うため活躍する話です。なお、ジャンルの名称としての「伝奇」は、この裴鉶の作品の一つである「伝奇」からとられています。
 そして変身譚なら、李景亮の「人虎伝(じんこでん)」など。これも、中島敦が改作して「山月記」として発表しています。

 これらの作品は、いずれも「文言」、つまり文章語で書かれています。ですから、これらの作品を読みこなせるのは、教養のある知識人に限られていたのですが、宋代に入ると、民間では俗語による語り物や芝居などの庶民文芸が盛んになってきます。さらには出版技術の発達により、書籍の大量印刷が可能になると、語り物の台本などが整理され、読み物として出版されるようになります。これら語り物、芝居、読み物などの題材に、さきほど紹介した「志怪」や「伝奇」も取り入れられていきました。そして明代に入り、俗語による文芸である「小説」というジャンルが成立するのです。

 では明代以降、「コワい話」はどうなっていったのか?それはまたいずれそのうち、近いうちに、可及的速やかにお話いたすよう前向きに努力する所存でございます(違)
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2012年04月18日

七福寄席で落語会 #姫路

 …えー、本日二回目の更新でございます。最近はネタを披露するためにブログを更新するのか、ブログを更新するためにネタを拾うのか、わからなくなってまいりましたが、しばしおつきあいいただきます。

 姫路の繁華街に「西二階町」というアーケード街がございます。江戸時代から参道として栄え、まわりは平屋なのにこの通りだけは二階建ての商家が並んでいたことから、その名がつけられたそうです。近年の大型ショッピングセンターの進出のあおりで、ここもシャッター街となりかけたのですが、危機感を募らせた街の人々が知恵を出し合い、新たな名所を作りました。それが「七福座」というイベントスペースです。

 空いた商店の一つを改装して作った、こじんまりとしたスペースですが、ここでさまざまなイベントを行うことで、商店街全体を活性化しようというわけでございます。近隣の地域で採れた野菜の直売、絵本の読み聞かせ、紙芝居、そして大阪から落語家や芸人を招いての演芸と、多彩なイベントを行っているのです。

 で、今日は「七福寄席」という、大阪から落語家お二人を招いて行う、月一回の寄席の日でした。じつはわたくし、落語は好きでして、とはいっても知ってる落語家は有名どころのみ、知ってる噺も有名どころだけで、このうえなくヌルい落語ファンですが、ここ一、二年は、東京や大阪に行く機会があれば、時間を作って寄席や演芸会に足を運んでおります。

 で、今日はちょうど昼間の時間があいていたので、1時限目の授業が終わるやいなや、西二階町に駆けつけました。アーケードに入ると、あちこちから出囃子の音が鳴り響きます。商店街を挙げて寄席の宣伝をしているんですね。ちょうど開場時間ぎりぎりに「七福寄席」にたどり着くと、すでに20人ほどの人が並んでいます。私もチケットを買って列に並び、入場しました。定員は120人、開演前にはほぼ満席となりました。

 今日の出演は月亭八斗笑福亭仁昇。若手の八斗さんが先に出て、勢いのある話しぶりで会場を暖めます。噺は「動物園」。移動動物園の虎の代わりを務めることになった、どこかヌケた若者の話です。お次は(二人の場合でも「トリ」といっていいのでしょうか)仁昇師匠。こちらはベテランらしく、緩急自在の話術で会場を爆笑の渦に巻き込みます。噺は「手水廻し」。田舎の宿屋の主人たちが、大阪の客の「手水を廻してもらいたい」というのが理解できず…というお話。しかし噺に入る前の、大阪弁にまつわるマクラでもうお腹いっぱいでした。私の斜め前に坐っていたご婦人なぞ、まさにお腹を抱えて二つ折りになって痙攣してましたから(いや、腹痛じゃなくて)。それから、「これ、チャウチャウちゃう?」「いや、チャウチャウちゃうんちゃう?」「ちゃうちゃう!チャウチャウちゃう!」を生で聞けるとは思いませんでした。

 すっかり笑い疲れて、軽い虚脱状態になりつつ、大学に戻りまして、大学院の会議に出席しまして、おかげでまた現実に引き戻されてしまったわけですが。今後も時間がとれれば、なるべく足を運びたいと思いつつ、名古屋に帰ってきたのでした。

 そういえば、名古屋の大須にはかの有名(?)な「大須演芸場」があることを思い出しましたよ。一時期は閉鎖の噂も流れましたが、最近また持ち直したようですね。5月3日、4日には三遊亭円丈師匠の独演会をやるそうなので、行ってみましょうか。
 大須演芸場といえば、古今亭志ん朝師匠が1991年から2001年に逝去するまで、毎年独演会を行っていたそうで、その貴重な録音のCDボックスが出るそうなんですが…高いなぁ…ボーナスが出たら考えよう…
タグ:落語
posted by TMR at 22:18| Comment(2) | 日々想