2012年03月31日

カルチャー・カフェ獨協「ホントにあった?中国のコワい話」第1回

開始一週間にして、ネタ切れの危機!

…を回避すべく、今年の1月から2月にかけてイオンタウン姫路で行った、「カルチャー・カフェ獨協」について、かいつまんで書きますよ。

「カルチャー・カフェ獨協」のコンセプトは、「ドリンク片手に、さまざまなテーマについて講師の話を聞き、みんなで気軽に語り合う」
ふつうの市民講座や公開講座だと、講師が一方的に語っておしまい、というふうになりがちですが、カルチャー・カフェでは、もっと気軽に講師の話を聞き、なにか疑問や意見があれば、その場でどんどん発言して、知的かつ楽しい時間を作り出す、のが目的です。
2010年度から始めて、今年度(まだ2011年度です)が3回目。
ほんとうなら、毎回講師が入れ替わるのがいいのですが、今回は諸般の事情により、私が4回連続で担当しました。
今回のテーマは、「ホントにあった?中国のコワい話」
…冬にやるテーマじゃない、という声も聞こえますが。

で、第1回(1/18)は、「古代中国は不思議だらけ?〜中国神話・伝説の世界〜」と題してお送りしました。
古代の人々は、どの民族でも、たいてい独自の「神話」を持っています。
ギリシャ神話とか、北欧神話とか、日本でも『古事記』などに出てきますね。
ところが中国には、神話とよべるものがありませんでした
いや、本当になかったのではありません。あったのですが、なにせ4000年の歴史を持つ国ですから、紀元前、我々日本人がようやくムラ中心の社会を築き始めた頃にはすでに群雄割拠の時代(春秋戦国)に入り、非常に現実重視な気風が主流になります。
そしてさまざまな思想家たちが、各国の為政者に取り入るため、自分たちの主張をアピールするようになるのですが、そのときに、誰でも知っている神話や伝説を、自分たちの主張に都合のいいように改変して取り入れていったのです。
ですから、中国の神話や伝説は、この頃に変形・分解され、体系を失ってしまったのでした。
そして、「神話」という概念も、育たなかったのです。

時は移って20世紀、欧米からさまざまな文物が中国に流入してきます。その中に「神話」の概念もありました。
(余談ですが、「神話」という言葉は、さきに欧米の文物を学んでいた日本から入ってきたようです)
「神話」について学んだ当時の学者たちは、中国にも「神話」があるはずだと考え、古代の様々な文献を渉猟跋扈して、神話の断片を拾い出し、つなぎ合わせていきました。
その結果、中国にも、立派な神話があったということが、わかったのです。

…長くなってきたので、続きは次回のお楽しみ!
posted by TMR at 21:03| Comment(0) | 講座

2012年03月28日

二胡レッスン

昨日は大学に行ってきましたよ。
今進めている仕事の資料が、大学の研究室や図書館に置いてあるはずなので、それを見に行ったのです。
置いてあるはずの資料がさっぱり見つからなかったり、図書館にある資料を見に行こうとしたら、蔵書点検で休館だったりしたことは、詳しくは語りますまい。
締切り間際の書類をいくつか提出できたので、行った甲斐はあったのです。あったんですってば。

そして、夕方は二胡のレッスンに向かいました。
先生のお宅が神戸なので、大学の行き帰りにレッスンに行くことが多いのです。
レッスンは本来は1時間半ですが、雑談を交えつつ、2時間弱やっていただきました。
(むしろ雑談のほうが盛り上がってしまったり)
課題曲はやはり難しいですね。二胡はバイオリンと同じように左手指で弦を押さえ、右手の弓で音を出すのですが、左手の指の動きに気を取られると、右手の弓がおろそかになるし、弓に意識を持っていくと、左手の音程がズレまくるし、それを聞いている先生のお顔はだんだん曇ってくるし…

でも、演奏者の技術はおいといて、二胡は(他の楽器でもそうだと思いますが)、調整の仕方やパーツの交換で音がずいぶん変わるものですね。コマ(弦の振動を蛇皮に伝える)によっても音の響きがずいぶん変わるし、弓も定期的に変えないと、音が「痩せる」のです。今回、弓を変えてもらったら、音量も響きもずいぶんよくなって驚きました。
(まぁ、3年ぐらい使い続けた弓なので、もっと早くに交換すべきだったのですが)
ちなみに先生の教室&お店はこちら、「江南春琴行」です。

とにかく七転八倒しつつレッスンを終わると7時近かったので、晩飯を食べねば、ということで、元町にある四川料理店「蜀」に行ってみました。
以前、同僚の先生から、「とっっっっっても辛い、けど美味しい」お店である、と聞きまして、辛いモノ好きとして、ぜひとも行かねば、と思っていたのでした。
店はこじんまりとして落ち着いた雰囲気。四川の辛いモノ、ということで、担々麺を頼んでみました。
お味のほうは、覚悟していたほど辛くはなく、むしろ山椒がよくきいてます。そしてうまい!
メニューを見てみると、辛いモノは定番「麻婆豆腐」のほかに、激辛の「燃麺」というのもあったので、次回はその辺にチャレンジしてみますよ。
ちなみにお店はこちら、「四川曹家官府菜 蜀(suu)」です。



タグ:二胡
posted by TMR at 10:58| Comment(0) | 日々想

2012年03月26日

『播磨の文化・文学の一側面−林田・敬業館にて−』

今回は、姫路に関係するテーマですよ。
先日、本学の特別研究助成金による小冊子『播磨の文化・文学の一側面−林田・敬業館』が刊行されました。私も末席に加えてもらい、駄文を載せていただきました。
播磨の文化・文学の一側面書影.jpg

内容は以下の通り。

盤珪の「不生」と「平常底」 ――播磨の宗教を背景にして――  岡田 勝明
河野鉄兜の中国・九州遊学の道筋について ─―四国・備前・備中―─ 田村 祐之
佐多稲子と播磨 ――姫路・相生・明石、そして西沢隆二――  北川 秋雄
播磨の俳諧                          富田志津子
播州姫路の女性文化史 ──万葉恋歌から幽霊・妖怪伝説まで──  大森 亮尚

宗教・文学・文化と、幅広いジャンルにまたがる内容で、小冊子ながらも他には類のないものだと自負しております(いや、私が企画したわけではないのでおこがましいですが)。
林田というのは、今は姫路市の一部になっていますが、かつては林田藩という独立した藩の所在地でありました。
小藩ながら、民政や教育に力を入れており、寛政六(1794)年には藩校・敬業館を建て、のちに姫路の高名な漢詩人・河野鉄兜を講師に招いています。
この鉄兜という人、非常に豪放磊落な人物であったようで、敬業館講師に就任するにあたり、藩主にある条件を出します。
その条件というのが、「就任前に、中国・九州地方の高名な文人たちと交流したいので、旅行のための休暇をいただきたい」というものでした。
就任前に休暇を申請する、というのも型破りですが、林田藩主・建部政和も大人物らしく、これを承諾して、費用も出してやります。
今だったら、こんなこと申し出たら、「この話はなかったことに」ということになるでしょうねぇ。
ともかく、約一年に及ぶ旅の後、林田に戻った鉄兜は敬業館講師として弟子を育てつつ、各地の文人学者たちとも交流を続けました。
しかし酒好きがたたって、糖尿病を患い、慶応三(1867)年、43歳の若さで亡くなったのでした。

この鉄兜が講師を務めていた敬業館、その講堂が林田に現存しています。数年前から、姫路市がこの敬業館講堂を利用して、年4回の「敬業館講座」を開いており、私も2年ほど、講師を担当させていただきました。最初の年は播磨の藩校について、2年目は上で紹介した河野鉄兜について、話をしました。
今回、『播磨の文化・文学の一側面』に載せていただいた文は、鉄兜が講師就任前に行った中国・九州旅行の道筋について、あれこれ考察したものです。紙幅と時間の関係で、道筋の途中までしか追いかけることができませんでしたが、ご興味のある方は、まだ数冊手元にありますので、コメント欄でお知らせください。

タグ:播磨
posted by TMR at 19:54| Comment(0) | 文書